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修行としての翻訳

今日、私は、「翻訳」について書こうと思いました。 私は今までいろいろな形で翻訳に関わってきました。ドイツで英語・ドイツ語の通訳になるために勉強をし、仕事の中で、教えていたクラニオの先生のた通訳をしたり、会社でも翻訳や通訳に関わる仕事をする機会はいろいろありました。もちろんサイマーのプログラムを日本に紹介する上でもいろいろ訳すことがありました。

本来の職業と思ったことのないことに、なぜ人生の大半を費やしてきたんだろうと不思議に感じることもありました。そこで、ある言語から他の言語に翻訳するのは単なる言葉の問題ではないということに気づきました。私がある言語から他の言語に何かを変えているのは単なる言葉ではありません。考え方、思い、存在のあり方まで、それを別の文化に紹介することにもなります。

言葉、や言葉の意味は、私たちが育った環境や文化に影響されます。エスキモーの言葉で「雪」を表す言葉は50以上あるとも言われます。雪には、年中雪に囲まれていない私たちには知らないようなニュアンスやエネルギーがいっぱいあります。それと同じように、牛乳の味を牛乳を飲んだことのない人に言葉で説明することはできません。

つまり、私が教えの一節、一文、一語、あるいは教え全体を他の言語に「翻訳」するということは、教えの奥深くに入り込み、エネルギーを把握し(例:「雪」のニュアンスを理解する)、そのエネルギーを他の「言語」に変えて、異なる文化の背景を持つ人々に伝えなければならないということです。そのためには、言葉の意味を超越し、言葉をそれに伴う文化ごと訳す必要が出てくる時もあります。つまり、私たちの世の中を見るフィルターや限定された信念が言葉の理解の中に反映されています。特にスピリチュアルな内容を訳している時に、その内容を自分の心身の中で話されている内容を深いところに落とし、噛み締め、理解した時、その言葉の”波動”が浮かび上がってきます。言葉の音としての波動と別にその言葉が心に響かせる”波動”があります。その同じ波動を違う言語の中で紹介して、同じように心に響かせるように訳せるようになることが私の修行の大きな道の道具となってきました。

その最長のレベルでは、瞑想の中の体験を言葉に表現しようとする時の自分は高次の形のない体験の波動を人間の言葉に”通訳”している体験と感じています。

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Reiko Maa

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